梅と春と 思いと記憶と ― 2016/02/03 17:49
けれど、なぜか自宅のネット環境では、昨朝から今の時点まで、ずっとプロバイダーに接続できないままで、こちらに何らかのトラブルが発生しているのかもしれません。
とりあえず、メールや書類の受送信ができないままでは仕事に支障がでるので、昨晩のうちに、我が家のハイテク人間に、スマートフォン経由でネット環境を設定してもらいました。
ということで、写真は冬の間もずーと咲き続けているギョリュウバイ。
(梅ではなくティーツリーの仲間)
最近になって、咲いている花の数がさらにドバッと増えたので、今、庭で一番目を引いています。
花びらが一重のものは花の形が梅に似ていて、まるで小型の梅でも咲いているかのよう。
だから、今の季節によく似合っていると思います。
そう感じるのは、昔、多感だった頃に、周りが梅だらけの場所に一時暮らしたことがあって、「2月といえば梅(しかも一重咲き)」と刷り込まれたからでしょうか。
それとも、かつて庭にあった紅梅の周辺で発生していたイベントが、記憶に影響しているとか。というのも、立春になると小さな緑の野鳥が飛んできては、ツボミをガツガツ食べていて、それを室内から見ていた母が奇声を発して撃退・・・立春の頃のサプライズイベントでしたので。
おかげで、梅がツボミをつける頃、メジロが飛んできて、庭木を枝伝いに通り抜けて行くのを見ると、今でも反射的に「ツボミは無事か」と少しハラハラしてしまいます。
ま、今ある梅の木は小さな盆栽なので、これまでのところは野鳥にスルーされているらしくて、欠けてザクザクになったツボミの残骸は見ていません。
下の写真の通り、だんだん花の数が増えてきたものの、のんびりと咲き進んでいるので、全体が咲きそろう感じにはならないかもなーと思いながら眺めています。
(盆栽だし、そういうものなのかな)
しかも、この白い八重咲きの梅は花が重たげに見えるせいか、花びらが完全に開ききっている感じがせず、もどかしいというのか、無期限に待たされている(待ってしまう)というのか、不思議な感覚を味わっています。
花びらが重たいせいで、力尽きて楕円になっているようにも見えるし。
たぶん八重咲きの梅に、まだ馴染みきれずにいるのかも知れません。
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